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【特別寄稿】

アルファヴィルはモスクワだった……


山田宏一(映画評論家)




『アルファヴィル』(ALPHAVILLE)



 オリジナル・ポスターより




クレジットタイトルの謎


 真っ黒な画面に上から下へ、一行ずつ、





アンドレ・ミシュラン(パリ)フィルムスタジオ(ローマ)共同製作


ジャン=リュック・ゴダール監督長篇第9作


〔高感度フィルム〕イルフォードHPSで
ラウル・クタールによる撮影


ポール・ミスラキの音楽


モリトーン〔編集機〕でアニエス・ギユモによる編集




 と次々にすばやくクレジットタイトルが現れては消え、メインタイトル『アルファヴィル』と同時に、これから何かがはじまるぞといった感じの、通俗的な、と言いたいくらいおどろおどろしくドラマチックな音楽が高鳴り、巨大なライト(プロジェクターのランプ、あるいはむしろ自動車のヘッドライトのアップのような)が画面いっぱいに点滅する。


 壁画なのか、壁あるいは幕のようなものに大きく貼られたポスターなのか、大砲のようなもの(じつは戦車であることがわかる)を大勢の人間が押して崖の上から海に落とそうとしている絵が描かれていて、その前を通りすがりのような男の姿が下のほうに小さく見える。キャメラが上のほうにパンしていくと、伝書鳩を放とうとしているように一羽の白い鳩を両のてのひらにかかえた絵のアップがとらえられる。それが何の図像なのか、壁画なのか、ポスターなのか、など考えたりする間もないくらいなのだが、画面左に「レミー・コーションの」という文字が、画面右にエディ・コンスタンチーヌ、次いでアンナ・カリーナ、そしてエイキム・タミロフの名前が出てくる。同時に画面左には「奇妙な冒険」の文字がつづき、『レミー・コーションの奇妙な冒険』という副題になり、クレジットタイトルが終わる。


 あれは何の図像なのだろう──長いあいだ気にかかっていた謎がやっと解けたところから、このささやかな論考をはじめることにしよう。






ヌーヴェル・ヴァーグとSF映画


 それはクリス・マルケル監督の記録映画『サン・ソレイユ』(1982)を見たときだった。「まるでジャン=リュック・ゴダールの『アルファヴィル』のイメージのようだ」というナレーションがきっかけになった。というのも、1960年代のフランス映画は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の主要な映画作家たちがSF映画を企画するという現象が注目されたのだが、その先鞭をつけたのがクリス・マルケル監督の「フォト・ロマン」(女の瞳のアップが一瞬のまばたきとともにとらえられるワンカット以外は全篇静止画による29分の短篇)、『ラ・ジュテ』(1962)であったからだ。クリス・マルケルの親友でSF冒険漫画(コミックス)の大ファンだったアラン・レネ監督は、ベルギーの幻想小説家ジャン・レイの「名探偵ハリー・ディクソン」シリーズからレーザー光線や遠隔操作などを使ったSF的なエピソードを「ロンドンの上空に未来都市を想定した」スペクタクル・ファンタジーとして映画化を企画(『ハリー・ディクソンの冒険』)、フランソワ・トリュフォー監督もアメリカのSF作家レイ・ブラッドベリの長篇小説「華氏四五一度」の映画化を企画したが(『華氏451』)、ともにヌーヴェル・ヴァーグらしからぬ大がかりなセット撮影のため資金繰りがつかず(当時はまだ白黒作品よりも倍以上かかるカラー作品として企画された)、実現に手間取っている間に、夜のパリと郊外(とくに超近代的建築が林立するパリ西北のデファンス地区)でオール・ロケによる、ヌーヴェル・ヴァーグ的低予算の白黒作品で、ジャン=リュック・ゴダール監督『アルファヴィル』が1965年1月に撮影に入ることになる。




若者の祭典――モスクワ1957


 クリス・マルケルはアラン・レネと共同監督で『彫刻もまた死す』(1954年ジャン・ヴィゴ賞受賞)を撮ったあとドキュメンタリー作家として独自の活躍をしているのだが、なぜかヌーヴェル・ヴァーグの仲間として認めないジャック・リヴェットのような、厳格な、というよりほとんど牽強附会の評価もあるものの、ヌーヴェル・ヴァーグをパリのセーヌ川の右岸に住む映画人と左岸に住む映画人という区分けをして「右岸派」と「左岸派」とよんだのは映画史家のジョルジュ・サドゥール(「世界映画史」)で、ジャン=リュック・ゴダールもヌーヴェル・ヴァーグの中核がアレクサンドル・アストリュック、ピエール・カスト、ロジェ・レーナルトらの先輩も加えてフランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、それにゴダールらの「カイエ・デュ・シネマ」誌のグループによる「右岸派」であるとしながらも、アラン・レネ、クリス・マルケル、アニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミらの「左岸派」も加えなければならないと語っている(「カイエ・デュ・シネマ」誌、1961年12月第138号/ヌーヴェル・ヴァーグ特集)。1967年には、ゴダールはクリス・マルケルのよびかけに連帯、共闘する形で、反戦集団映画『ベトナムから遠く離れて』の製作に参加する。


 というようなことから、ここまでは、じつは、ひょっとしたらという期待と推測と予感のようなものにすぎなかったのだが、ついに、『アルファヴィル』の冒頭のタイトルバックに使われた図像が1957年にクリス・マルケル撮影によるモスクワ市街に貼られた「若者の祭典」のポスターであることを発見してくれたのは大久保清朗氏である。


 世界中を旅するドキュメンタリー作家、クリス・マルケル監督の写真集でCD-ROM作品『いつ? どこで?──遠い記憶のかなたに』(2008)のなかにそのポスターの写真があり、といってもCD-ROMなどにはまるで無知無縁の私にはなかなか見る機会がなく、やっと旧知の鈴木隆氏の協力を得てその動かぬ証拠を確認できたときには心がときめいた。そのなかの「モスクワ篇」にはクリス・マルケルによるこんなコメントとともに『アルファヴィル』の冒頭に使われた図像そのものの写真が出てくる。


「若者の祭典」  モスクワ、1957年

 世界の人々が一致団結して戦車を海に突き落としている(とはいえ、ハンガリーとチェコでのちにその実態が明らかになるので、全世界の人々とはいえないのだが)──この象徴は十分にはっきりしている。だが、平和の鳩を解き放とうとしているのは誰の手であろうか? 女性の手、そうだ、いや、もしかしたら天使の手かも知れない。「ああ、いかに私が叫んだとて、〔いかなる天使が/はるかの高みからそれを聞こうぞ?〕……」(リルケ詩集「ドゥイノの悲歌」、手塚富雄訳)。ゴダールは彼の映画『アルファヴィル』のクレジット画面(スクリーン)にこの図像を挿入したとき、リルケのことを考えていたのだろうか?

クリス・マルケル「いつ? どこで?──遠い記憶のかなたに」モスクワ篇
(大久保清朗訳)


 というコメントである。そして、クリス・マルケル監督は自分の写真に重ね合わせて『アルファヴィル』のクレジット画面(スクリーン)をさりげなくムーヴィーで流してみせる(『ラ・ジュテ』のように静止画の連続のなかで一瞬そこだけがムーヴィーになるのだ)。ゴダールの引用に対する返礼の引用である。






雪解けから、ふたたび冬へ


 第三次世界大戦後の荒廃したパリを描いたクリス・マルケル監督のSFフォト・ロマン『ラ・ジュテ』にヒントを得たにちがいないゴダールの『アルファヴィル』はいわば1957年の一時的な「雪解け」後の荒廃/冷戦悪化したモスクワを描いたハードボイルドタッチのSF的寓話の形を借りた「政治映画」だったのである。「政治映画は歴史のくりかえしと軌を一にする」とゴダールは批評家時代にすでに書いている(「ラ・ガゼット・デュ・シネマ」誌1950年9月第3号所載の「政治映画のために」)。


 1953年3月にスターリンが死に、9月にはフルシチョフが政権の座につく。威圧的恐怖政治と「個人崇拝」によって神聖化されていた独裁者スターリンの時代が終わり、56年2月にはソビエト共産党第20回大会で──「秘密演説」ではあったが──史上始めての「スターリン批判」がおこなわれ、「雪解け」(この年、その語源になったイリヤ・エレンブルグの小説「雪解け」が発表された)、東西両陣営間の対立緊張の緩和が期待されたが、10月には早くもハンガリー事件(「非スターリン化」を求める人民と政府側との武力衝突)が起こって、ソ連が軍事介入して親ソ政権が樹立、「雪解け」は短期に終わり、ふたたび冬の時代に入る(山田和夫『ロシア・ソビエト映画史 エイゼンシュテインからソクーロフへ』、キネマ旬報社、による)。


 「ハンガリーの雪解け」がはじまったとき、「モスクワは、共産主義体制を守るためには〔軍事〕介入する以外に選択の余地はなかった」と「ソヴィエトの悲劇/ロシアにおける社会主義の歴史」(白須英子訳、草思社/上巻・下巻)の著者、マーティン・メイリアは書いている。「〔共産主義体制をゆるがす〕不穏な形勢にモスクワの指導者たちは警戒心を強め」たのであり、「東欧の不安定状態」がモスクワにまで飛び火する前に鎮圧しようとしたのであった。「介入は明らかにフルシチョフの第一の選択ではなかったが、いったん決断すると彼はためらわずに〔ハンガリーの首都〕ブダペストを戦車で破壊し」た。






世界中の若者がモスクワに集結


 しかし、文化的には(とだけ言っていいのかどうかわからないけれども)、「フルシチョフは彼なりのやり方で、国民が人間的、経済的な潜在能力を十分発揮することができるような体制を実現させ」ようとしていたのであり、その「文化的」影響が翌1957年の夏の「若者の祭典」を生みだすことになる。


 マーティン・メイリアはつづけて次のように書いている。

 ソヴィエト国内では、フルシチョフの秘密演説が東欧のように議論を呼ぶことはなかったが、知識人のあいだに異論派を生みだした。1956年、E・N・ブルジャーロフのような歴史家たちが、一連の論文を発表し、フルシチョフのソヴィエトの過去についての慎重な見直しからさらに進んで、1917年にはじまるスターリンの『ソ連共産党史小教程』を真っ向から否定しはじめた。〔……〕さらに重要なのは、ボリス・パステルナークが『ドクトル・ジバゴ』のなかで、革命を非難するに等しい評価を下したことである。この小説の原稿をソヴィエトの評論雑誌『ノーヴイ・ミール(新世界)』が受けつけなかったので、パステルナークはこれを1957年に国外で出版した。これがいわゆる「地下出版(サミズダート)」の脈々たる伝統の走りである。この小説は主要外国語すべてに翻訳され、全世界でたちまちベストセラーとなり、1958年にパステルナークはノーベル賞を授与された。モスクワの面子はまるつぶれだった。パステルナークは受賞の辞退を強いられ、作家同盟の同僚の大半は彼を非難するように強要された。だが、このことは、東欧と同様に、雪解けはロシアでも手に負えなくなっていることを示していた。

マーティン・メイリア「ソヴィエトの悲劇/ロシアにおける社会主義の歴史」


 こうして、1957年には、まさにふたたび冬の時代に入る直前、「雪解け」は熱い夏を迎えたのであった。


 初めて(そして一度だけ)、鉄のカーテンが開かれ、世界の130か国から3万4千人もの若者がモスクワに集まり、民族音楽、ジャズ、ロックンロールに沸き立つ「若者の祭典」が催された。若者たちはジーンズといった自由な恰好で踊りまくった──ビートルズやミニスカートの出現する5年も前のことだ。アメリカの若者の愛と平和と音楽の3日間、ウッドストック・フェスティバルが1969年夏、それより12年も前のことである。自由なスピーチ、自由な語り合いもおこなわれた。祭典は2週間つづいた。かつてない盛り上がりをみせたこの「若者の祭典」のメッセージが、戦争と弾圧の象徴としての戦車を海に突き落とし、平和のシンボルとしての白い鳩を放つ図像だったのだ。






ゴダールの想い


 クリス・マルケルの写真によってこの祭典を知って青春の血がたぎるような興奮を覚えたにちがいないゴダールがモスクワにおけるこの「若者の祭典」に参加できなかったことへの悔恨とともに(ゴダールはそのころ26歳、パリで映画批評を書いていた)、クリス・マルケルに敬意を表しつつ、この写真を『アルファヴィル』の冒頭に引用したことは明らかだろう。1950年に書いた「政治映画のために」という評論の次のような書きだしを読めば、1968年の「五月革命」のときにジガ・ヴェルトフ集団(といっても、ジャン=ピエール・ゴランとふたりだけの「集団」だったが)としてクリス・マルケルの「新しい作品を世に問う」集団SLON(スロン)と共闘しつつ「真の」政治映画をめざして、若者たちとともに、学生たちとともに、「革命」のなかに身を投じたゴダールの心情/信条も推測されよう。


 ある午後のこと、われわれはゴーモン社のニュース映画の最後に、ドイツのコミュニストの青年たちがメーデーの祭典に行進している姿を見て、歓喜の眼を見開いたものだった。空間は突如として若々しい行進と肉体そのものにふくれあがり、時間は宙にいきおいよく振り上げられた拳の流れと化していた。これらの若き〔殉教者〕聖セバスチャンたちの顔には、古代の神々の彫像からロシア映画に至るまで幸福な表情につきものの微笑みが見出された。〔……〕これらの若者たちは、彼らを活気づけていたプロパガンダの力だけで、「二十歳の美しい肉体は素肌で歩くのにふさわしい」とうたったランボーの詩(「ランボー全詩集」、宇佐美斉訳、ちくま文庫)さながら、美しかったのである。

ジャン=リュック・ゴダール「政治映画のために」






α60とは、アルファヴィルとは


 1969年のジャン・コントネーとの「赤い映画=対談」(保苅瑞穂訳、「ゴダール全集3」、竹内書店)においてゴダールは「五月革命とは、生命の変革であり、歩みを前進させることだった」と語るように、まさに「素肌で歩くのにふさわしい」二十歳の美しい肉体が五月革命のさなかに見出されたのだろう。しかし、それはまだずっと先のことだ。1957年のモスクワにおける「若者の祭典」のあと、鉄のカーテンはふたたび閉じられ、冷戦は米ソ核開発競争などの形で激化し、1968年の──パリの「五月革命」と同時期に──「プラハの春」として知られることになるチェコの自由化・民主化運動もソ連とワルシャワ条約機構(1945年にソ連の脅威に対抗してアメリカとヨーロッパ諸国によって創設された北大西洋条約機構に対して、1955年に創設されたソ連圏に属する東欧諸国の統一軍事組織)の軍事干渉によって弾圧される。鉄のカーテンは、ふたたび、よりいっそう堅く閉じられてしまう。「スターリンは、1953年に肉体的には死んだあとも、この体制が1991年に崩壊するまで、人々の意識のなかにも政治的にも生きつづけた」(「ソヴィエトの悲劇」、前出)のである。


 『アルファヴィル』は1965年、いや、ゴダールによれば冷戦(という言葉が生まれた1946年)から30年後の1976年の物語である。1985年のゴルバチョフによる「ペレストロイカ」、1991年のソ連邦解体まで、スターリニズムは生きつづけ、冬の季節がまだまだ終わりそうにないソ連へ、モスクワへ、スターリンの亡霊とも言うべき電子頭脳(コンピューター)α60が独裁支配するアルファヴィルという名の──もしかしたら「東欧の共産主義帝国」の都市かもしれない──全体主義体制の自由のない闇の世界へ、エディ・コンスタンチーヌ扮するFBI捜査官、レミー・コーションが破壊工作の任務を負ったスパイとして潜入する、というところから、『アルファヴィル』の物語ははじまるのである。


(「ボルヘスと闇からの声」につづく)




■管理人から

「アルファヴィルはモスクワだった……」は、山田宏一氏の近刊「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」ワイズ出版)に「アルファヴィル」論の第1章として収録されます。
 第2章「ボルヘスと闇からの声」も、近く「速報 シネマグランプリ」にて掲載を予定。(『ウィークエンド』論に変更になりました。→「時空を超えた週末旅行──ジャン=リュック・ゴダール『ウィークエンド』断章」http://cgrandprix.blog42.fc2.com/blog-entry-384.html
さらに、
 第3章「セマンティックスとサイバネティックス」
 第4章「消えた爆破シーン」
 第5章「新世界」
 第6章「怠けの罪――エディ・コンスタンチーヌ」
 第7章「レミー・コーションの新しい冒険」
 第8章「アンナ・カリーナとともに」
 第9章「キッスで殺せ」
 第10章「囚われの美女」
 第11章「未来展望」

 と続く山田氏最新の「アルファヴィル」論(映画誌)の全貌は単行本をお楽しみに。



ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代
(2010/06/08)
山田 宏一

商品詳細を見る


下記は終了いたしました。

山田宏一 写真展 「Nouvelle Vague(ヌーヴェル・ヴァーグ)」
2010/6/5(土)~6/26(土) 13:00-19:00 日曜休廊
『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』(ワイズ出版)出版記念サイン会
2010/6/5(土)15:00~15:30)

GALLERY mestalla(ギャラリー メスタージャ)
〒101-0065 東京都千代田区西神田2-3-5 千栄ビル1F
Tel:03-6666-5500
Fax:03-6666-5856
http://www.gallerymestalla.co.jp/

8×10、11×14インチの主にモノクロ(一部カラーあり)写真を30点展示予定

【プレスリリースより】
ギャラリーメスタージャは、来る2010年6月5日(土)から6月26日(土)まで、企画展として山田宏一写真展「Nouvelle Vague(ヌーヴェル・ヴァーグ)」を開催いたします。山田宏一氏は映画評論家として知られています。氏は60年代にフランスに滞在し、その当時今までになかった斬新な映画を創り上げて世界の映画界を震撼させたヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の若い映画監督らが活躍した映画批評雑誌カイエ・デュ・シネマの同人となり、まさにその「新しい波」の渦中で映画とともに生きてきました。そこで出会った監督、俳優たち(フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・ドゥミ、アンナ・カリーナ、フランソワーズ・ドルレアック、カトリーヌ・ドヌーヴなど)を氏は愛情と情熱を持ってカメラに収めました。そこには実際に撮影現場に立会い、また彼らと親しく交流を持った者にしかとらえることが不可能な彼らの輝く表情が、また知られざる素顔が映っています。今回の展覧会では、既に氏の書籍などに掲載された写真、また本展覧会と同時期に上梓される『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』(ワイズ出版)の出版記念の一環として未公開写真も含めた展示をいたします。是非ご高覧いただきますよう、お待ち申しあげております。
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