HOME   »  2009年1月公開映画
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
http://www.hellboy.jp/ 2009/1/9公開
 
横森文(映画ライター&役者)
前作『パンズ・ラビリンス』でも、ギレルモ・デル・トロ監督のイマジネーションには舌を巻いたが、この作品でもそのパワーは遺憾なく発揮されている。現実は特殊メイクと着ぐるみを身につけた俳優たちが演じているはずなのに、あたかも現実の向こう側の空間を切り裂いて出てきたかのように感じられる異形の者たち。冷凍庫から直結する摩訶不思議な異世界。その現実との地続き感がすごすきて、思わずタメ息が出てしまったほど。前作も面白かったけれど、さらにダーク・ファンタジーとして昇華された続編になっているのだ。個人的にハマったのは水棲人エイブが紡ぐラブストーリー。もともと紳士的なキャラが面白くて、前作から超ひいきさせていただいてたエイブだが、今回でますます好きに。ちなみに「ゴールデン・アーミー」のエイブフィギュアを某店で買おうとしたら、それだけ完売(涙)。明らかに今作で観客のハートをつかんだってことでしょうな。

永野寿彦(シネマ・イラストライター)
マイク・ミニョーラの独特の画風が素晴らしい原作コミックのテイストと、ギレルモ・デル・トロ監督のヴィジュアル・センスとの相性は抜群に良かった前作。傑作『パンズ・ラビリンス』を挟んでのこの2作目は、原作が持っている面白さをさらに推し進めたようなクオリティの高さ。B.P.R.D.こと超常現象捜査局のエージェント・ヘルボーイと人類を滅亡させようとするエルフ族の王子の闘いというダーク・ファンタジーな物語が、現実と地続きで存在しているかのように当たり前に見せてしまう映像がハンパない。ラブ・ストーリーを交えながら描かれるハードボイルドなドラマと、容赦なくその世界観に放り込まれる感覚は、さながらファンタジー版『ブレードランナー』ってな感じ。

皆川ちか(ライター)
マイナー人間の受ける精神的&肉体的迫害を切実に詩的にオタクに描いて、やはりギレルモ・デル・トロ映画にハズレなし。グロ描写も相変わらずきついです。
スポンサーサイト
http://jockey-movie.jp/ 2009/1/24公開

渡部実(映画評論家)
競馬のジョッキーを育てるために、設けられたフランスの国立騎手養成学校の記録映画です。10代の少年少女がこの寄宿学校で騎手の訓練を受ける毎日を追っていますが、かなりリアルな記録で、ジョッキーの養成はとても厳しいものと感じられました。けれど、そこで生活をする子供たちには頑張ってもらいたいと思います。
http://demy.jp/ 2009/1/31

暉峻創三(映画評論家)
デジタル復元で甦った港町とインテリアや小物、洋服の心踊らされる色彩感はもちろんのこと、エキストラ演出の黒沢清に勝るとも劣らぬ技巧、ギラン・クロケによるロケ撮影とは信じ難いやりたい放題を尽くした活劇的カメラワークなど、単なる甘美な恋愛ミュージカルの域を逸脱した映画的快楽の極致。華美な色彩の裏に滲み出る当時の暗鬱な社会情勢も、今見直すと興味深い。
http://demy.jp/  2009/1/31公開

山田宏一(映画評論家)
「トレ・ビアン!と叫びたい」という映画評論家(あるいはむしろ料理評論家としてよく知られた“美食家”)の故・荻昌弘氏による名コピーで大ヒットしたのも今は昔。デジタルリマスター版として再公開される『シェルブールの雨傘』(1964)は――同時にやはりデジタルリマスターによるニュー・プリントでリバイバル公開される『ロシュフォールの恋人たち』(1967)とともに――まったく初めて見るような新鮮なおどろきです。あでやかな、そしてあざやかな色彩の 美しさ、ういういしく、そして魅惑的なカトリーヌ・ドヌーヴの美しさ。何もかも美しく、あまりにも美しく、ただもう美しく、目のくらむような美しさです。ジャン・コクトー監督の『美女と野獣』(1946)やジーン・ケリー/スタンリー・ドネン監督の『雨に唄えば』(1952)に魅せられ、あこがれて、映画を撮りはじめたというジャック・ドゥミ監督ならではの、詩と色彩と音楽が調和した美しい現代的なおとぎ話。「シャンテ(歌われた)」と「アンシャンテ(魅せられた/不思議の)」を合わせて「フィルム・アンシャンテ(歌の映画/魅惑の映画)」とジャック・ドゥミ監督はよびました。音楽は名コンビのミシェル・ルグラン。
荻昌弘氏の名調子にならって、「ブラボー!と叫びたい」といったところ。

永島浩(映画案内人)
約40年ぶりのスクリーンでの再会。しかしその感動はまったく色褪せない。愛に愚直な男と、その彼を待たずに目の前に提示された身近な幸福を選びとる女。なるほど、かのフランソワ・トリュフォーがこの映画のセリフをすべて暗記しているというのも頷ける。雪降り積もるガソリンスタンド。それぞれの子どもを「フランソワ」と呼ぶ、かつての恋人たち。自分のファースト・ネームをクライマックスで耳にした、そのときのトリュフォーの心中やいかに? 『暗くなるまでこの恋を』の「運命の女」にカトリーヌ・ドヌーブを起用した彼には、もしかしたらこの映画のドヌーブの残像があったのではないか?
http://www.20thboys.com/ 1/31

永島浩(映画案内人)
コマの構図どころかコマ進行まで漫画を完コピ。原作に捕われすぎて窮屈きわまりなかった『第1章』がまるで嘘のよう。映画オリジナルの近未来世界の中を、これまた映画用に改変・構築された物語がダイナミックに疾走していく。果たして『最終章』ではどんなアプローチを見せてくれるのか? 連載開始直後から映画化を切に望んだファンとして、期待も込めての一票。とはいえ「試写室ランキング」で言えばこれはいわゆる「裏ベスト」。「表ベスト」の『チェンジリング』とどっちにするか、ギリギリまで迷ったことを追記。
http://www.ai-muki.com/ 2009/1/31公開

森直人(ライター)
あらゆる意味で巨大な作品。前代未聞の達成。ケータイ小説の感性まで取り込んで、四時間爆走しつづける!

佐々木淳(フリーエディター&ライター)
園子温の作品としては、以前にこの欄でベストに推した「紀子の食卓」のほうが個人的には良かった。だが、「紀子~」を多くの知人に勧めたとき、その内容の深刻さに拒否反応が多かったのも事実だ。愛は美しいが、ときに醜い。あれは親と子の心の奥底に秘められた「むきだしの愛」のお話だった。
今作は、園監督自身がプレスに、タイトルについて、“「むきだしの愛」だったら、愛という感情の映画でした。「愛のむきだし」は物です。(中略)物としてむき出された愛。愛がボッキ、パンチラ、盗撮、カーチェイス、喧嘩に形を変えて、物として溢れ出す”と書いているが、愛が暴走し、具現化して、世の中の表面に滲み出しているぶん、表現としては明るいエンターテインメントになったと思う。煮詰めたところは前作と同じだといえるが…。めくるめく疾走感に上映時間の4時間はあっという間に感じるだろう。

塩田時敏さん(映画評論家)
11月はゆうばり国際ファンタスティック映画祭の作品選考で多くの面白い試写も観たが、それは今まだ書けない(笑)。その分見逃している通常の試写も多くなった11月。数少ないなかで最優秀は、初号試写以来久々に再見した「愛のむきだし」。4時間の大作だが体感時間は短い、驚異のヘンタイ・純・ラブストーリー。キリストから新興宗教まで深エロい~話、これぞ人類愛だ。

加藤久徳さん(映画ライター)
合計237分の上映時間を持つ園子温監督の新作は、見る側の生理を超越し、飽きるといったことを忘れさせてくれる。21世紀に入って以来、やっと“日本映画史の傑作”にお目にかかれたと思った。撮影は35ミリのフィルムだから、過去の邦画の名作と肩を並べさせて遜色がない。全編デジタル撮影、デジタル上映主流の昨今にウンザリしていたときに本作に巡り会えたのが嬉しい。
とはいえ、今月は試写を22本しか見ていないにも関わらず、内容は濃く、秀作・佳作が多い。一応、ノミネート作品を挙げておく。「ホルテンさんのはじめての冒険」「そして、私たちは愛に帰る」「マンマ・ミーア!」「青い鳥」「GOTH」など。
中学のイジメ問題を扱う「青い鳥」は同傾向の作品群の中ではトップの出来ばえ。ABBAの楽曲をイヤッと言うほどちりばめた「マンマ・ミーア!」は、かつてのABBAの来日武道館コンサートを2度観に出かけたことのあるABBAファンの僕なら、今月のトップに据えなければ自分に対して嘘つきなのだが、1本しかグランプリに入れることまかりならんという本サイトの規則のため、敬虔なクリスチャン一家の崩壊を描いた『愛のむきだし』の前にあえなく落選。まるで踏み絵だ。
http://www.pochi-movie.com/ 2009/1/24公開

西脇英夫(映画評論家)
これが日本映画とはとても思えないほどの凄い作品だ。警察の腐敗を、ここまで本音をこめて描くとは、その勇気と映画づくりの情熱に脱帽。ほとんど無名に近い俳優を使って、これほどの存在感とメッセージ性をフィルムに焼き付けた技術も素晴らしい。邦画も捨てたもんじゃないなと、心底嬉しかった。早くも2010年のベストワンと、折り紙をつけたいくらいだ。
http://www.r-road.jp/ 2009/1/24公開
 
黒田邦雄(映画評論家)
リチャード・イエーツが1961年に出版した同名処女作(日本題名『家族の終わりに』)の映画化作品で、物語の背景は1950年代半ばのニューヨーク郊外。つまり、今から約50年も前のアメリカ人の危機意識が描かれるのだが、これに目を向けなかったバツが、ただいまの金融クライシスなのだと解釈できる。この映画は最先端のアメリカ問題をとらえているのだ。

内海陽子(映画評論家)
あの日、あの時、あの人と別れていなければどうなっただろう。そう考えてほんのりしたものを感じるか、狂おしい感情を抱くかは、人それぞれ違うだろうし、年齢によってもまちまちだろう。「タイタニック」の悲劇の恋人たちが、別の時代、別の場所で恋に落ちて結婚したとしたら……という意地の悪い実験のようなこの映画はスリリングなことこのうえない。焦燥感でつぶされそうな主婦を演じるケイト・ウィンスレットの挑戦を受け、レオナルド・ディカプリオが決死の表情で応戦する様子は華やかなアクション映画だ。サム・メンデス監督が描くアメリカ50年代は非常に人間臭く、仕事帰りの男たちが酒を飲みながら愚痴を言い合う情景が、日本の居酒屋の景色のように感じられるのもおもしろい。
http://www.pride-movie.jp/ 2009/1/17公開

加藤久徳(映画ライター)
理屈はどうあれ、これは怪獣映画だ。一条ゆかりの原作があろうとも、監督は金子修介なのだから。育ちも性格も違う2人の若い歌姫(ステファニーと満島ひかり)がしのぎを削って競い合うその姿は人間ではない。ガメラと、ギャオスそのものであった。同監督の『デスノート』もそうだった。このような剥き出しの闘いは傍目には面白いのである。ドレス姿がよく似合う渡辺大や、これ以上考えられないほど適役となった及川光博の二人の男優が、主演女優二人よりも優美に見えたとしても仕方がないことだ。
今月、優美で完璧な女優が他にいなかったわけではない。NYのメトロポリタンオペラのオープニングシーズンの様子を映像で捉えたオペラ映画『METオープニング・ガラ』のレネ・フレミングは、現代アメリカのプリマドンナの実力と女の魅力を振りまいて作り物の劇映画を凌駕していた。山田洋次監督が勘三郎一家の舞台姿を追ったシネマ歌舞伎『連獅子』もまた見応えがあったが、こちらの世界は女人禁制。
http://www.osaka-hamlet.jp/ 2009/1/17公開

野村正昭(映画評論家)
森下裕美の原作コミックは未読。たぶん年末になると、ああ、こんな映画もあったなあという、うっすらとした記憶しか残らないと思うけれど、その薄味さ加減が今の自分には心地良くて、つい挙げてしまった。松坂慶子と岸部一徳といえば、あの世にもおぞましい「死の棘」(90)の夫婦コンビが思い出されるけれど、本作の二人は、そうした記憶を帳消しにしてしまうほど、あっけらかんとしていて、嬉しく
なってくる。ここで夫婦なのは松坂慶子と間寛平(彼は遺影と幽霊として登場するのみ)で、岸部一徳は亡夫の弟にして正体不明の叔父さんという設定だが、その距離感もいい。それぞれユニークな子供たち3人との日常描写の面白さ!
http://che.gyao.jp/ 2009/1/10 1/30公開

松島利行(映画評論家)
二つの作品であるが、一連のものだ。しかし、第二部にあたる「別れの手紙」は「実録・連合赤軍/浅間山荘への道」に照応し、ひたすら破滅への道を歩むチェに、動揺せずにいられなかった。スティーブン・ソダーバーグ監督が中南米の独裁傀儡麻薬政権と米国との腐った関係を「トラフィック」など近作で追及していることは知っている。アメリカ人であっても彼は、ロック、ヒッピー以降の全共闘世代に(私はカストロらのキューバ革命の成功に浮かれた世代だったが)、ゲバラにカリスマ性を見る世代に連なるのか。チェがサルトルやバートランド・ラッセルのカンパに頼っている話は、皮肉というより現実だっただろう。

西脇英夫(映画評論家)
これまでにも、チェ・ゲバラを登場させた劇映画やドキュメンタリーは数多く観てきたが、これはまさにその極め付きといえる作品。ゲバラの半生の一部始終を丹念に描き、しかもこれ見よがしでなく、むしろ地味といえるほどに淡々と語り、それでいて十分にその人間性や思想が伝わってきて、実に感動的である。さすがスティーヴン・ソダーバーグ、よくぞここまで完璧な作品を作り上げた。彼はゲバラを、いまに再現させるために監督になったといえるほどだ。

まつかわゆま(シネマアナリスト)
今月はこれだな。
一番過激だった高校生の頃。『サンチャゴに雨が降る』という映画を見て「革命はロマンだ」というセリフにいたく感激した覚えがある。あれって、ゲバラの言葉から出ていたのねと、今回初めて知った。それとレノン『イマジン』の歌詞の一部もゲバラの言葉からでていたのかも、と思う。同時代人のレノン、影響受けていそうだものね。
というくらい、ゲバラのことは知らない私に『モーターサイクル・ダイヤリーズ』以降のゲバラ、というよりここはチェと呼ぶ方がいいかな、チェの後半生を疑似体験する形で教えてくれる映画だった。
ソダバーグの実験してみたいんだよぉぉという作品にはついていけないことも少なくないが、今回は、はまった。チェの人生を、なぜ彼はこういう行動に出て、その時をどんなふうに感じていたのかを知りたい、見せたい、どう表せばいいか、と試行錯誤した結果が、二部構成でスクリーンのサイズも色調も違うというスタイルに結実したわけで、それがねー、いいと思うのよ。
「28歳の革命」はシネスコで描かれるが、三種類の時制があり、その”時”をチェはどう感じていたかが撮影方法で描き分けられる。メキシコでカストロと出会いキューバ行きを決めるところはアンバーがかった粒子の荒れたノスタルジックな映像で、キューバを転戦して解放していくところはテクニカラーのかっちりとした映画らしい撮り方で、そして挿入されるニューヨーク国連での演説のたびはモノクロのニュース映画のようなタッチ。
つまり、チェにとっては、キューバ革命の戦場、現場こそが”生きているという実感を持てる日々”であり、メキシコ時代は懐かしの若き良き日々であり、国連の旅はなりたくもない政治家にならざるを得なかった我慢の日々だったのである。それでも国連の旅まではチェにとって最高の日々だったことがシネスコの登用でわかるわけだ。
対して。「39歳別れの手紙」はアメリカン・ビスタ・サイズで描かれる。つまり、時代はすでにグローバル化、いいかえればアメリカン・スタンダード化していて、だからコンゴもボリビアも失敗したのである、という含み。一枚も二枚も上手だったのだな、敵さんは。餓えないだけの経済成長を庶民に浸透させておいて庶民の反抗心という牙を抜く。自分で考えて自分で選択する教育はせず、従う教育を広めておく。がんばればその分は自分のところに帰ってくるのに、連中はそれを奪ってあなたよりも怠け者の連中にやってしまうぞ、と脅す。60年代はもう民衆が革命を希求する時代ではなくなっていたのだというのを、ビスタ・サイズの起用で表したのだ、と、私は思うぞ。で、手持ちっぽく、ドキュメンタリー・タッチで撮っていくんだな。チェの息遣いさえ感じられるように。あぁ、つらい。
それでも、権力というもの惑わされず、政治家になることより革命家であり続けようとしたチェ・ゲバラの魅力は見る者に強く印象つけられる。革命も完成すれば体制になり、それを維持するには政治が必要になる。でも、チェはキューバだけが成功しても世界は、世界のしいたげられた人たちは幸せにならないと考えたのだよね。だからキューバを出た。うーん、ロマンチストだわ。だから彼は若者(は少なくともロマンチストだとして)のカリスマでありづける。そこのところをソダバーグはプロデューサーとデル・トロの熱意をくみ取りつつ端的に描いて見せた。
見るべき一本。私は息子に見せるべくすでにチケットを買ったのである。
http://che.gyao.jp/ 2009/1/10公開

稲垣都々世(映画評論家)
ソダーバーグ、久々の秀作。3つの時代を交錯させる“緻密な構成”は「トラフィック」を思わせるが、あんなにギスギスしていない。感情があふれかえっている。それは、チェ・ゲバラという人物が否応なく醸し出してしまうものだ。「モーターサイクル・ダイアリーズ」から像を結ぶ高潔なチェの人格に、再び胸を打たれ、感動し涙した。
http://lorna.jp/ 2009/1/31公開

高崎俊夫(編集者)
ダルデンヌ兄弟の映画は、その取り扱う主題の過酷さ、極端なクローズ・アップを多用し、ドキュメンタリーと見紛うような<リアルさ>を強調する視覚的スタイルが、時に、あまりに禁欲的で息苦しさを覚えてしまうことがある。それは、一歩間違えば、見る側のまなざしを作り手の意図通りに誘導させる、ある種の<映像の権力>が発生する危うさも孕んでいるように思われる。しかし、不法移民と偽装結婚をテーマにした新作『ロルナの祈り』は、引きの画面が多く、それまでの彼らの作品にはない自由さ、解放感が感じられる。それは、ヒロインを演じたコソヴォ出身のアルタ・ドブロシの憂いを帯びた表情、絶えず着替える場面で、肌をさらす彼女がとても官能的であるためかもしれない。大人のヒロインを主役に据えたことによって、ダルデンヌ兄弟の映画は、新たな拡がりと豊かさを獲得したようだ。

まつかわゆま(シネマアナリスト)
11月末に遊びに行ってしまったせいか、いや、たぶんそのせいなのだけれど、12月はあまり試写を見ていない。見た中で、というシネグラのルールに従うと、どうも、帯に短したすきに長し、というのはふさわしくないかもしれないが、いまひとつ「全部、まるっ」と思えるものがないのだ。ここんとこが、もうちょっと、と思ったらそこばかりが気になって全体の印象を盛り下げる、という感じ。その、「もうちょっと」の理由は同じ監督の前の作品だったり、同じテーマやモチーフの別の人の作品だったりさまざまなんだけれど、要は比較してしまったということ。それは、オリジナリティ、この一本で勝負した、というのに今月は会えなかったということなのではないかしらと。
というわけで、「ロルナ」。タルデンヌ兄弟はいつも同じ、かもしれない。舞台も、キャラクターも、彼らのいる状況も、似ている。それなのに、いつも違う不幸が登場人物にふりかかる。ベルギーという小さな国の小さな町のあまり知りあいもいなさそうな、お金のない若い人たちに、よくもまぁ不幸の種が尽きない、という物語。けれど、それでも、生きていこうとする。そのみみかき一ぱいほどの希望にすがって生きていこうとする若者たちに、いつも、襟を正されるのがタルデンヌ兄弟の映画なのだ。そんな、「いつも」をみたい気分をやはり裏切ることなく、ちゃんと新しい不幸を時代の中から見つけ出す二人のおじさんに今月は一票を入れたいと思う。

浦崎浩實(激評者=映画評・芝居評)
この映画を観ながら、なぜか、学生時代の4年間に20数回転居を繰り返した知人を思い出した。“移動”に弱く変化をどこかで畏怖している私などには、国を跨ぐことなど、単純な旅行を別にすれば、思いもよらない。本作のヒロインは新天地の異国で、無法者の男たちを相手に何とか生き延びてきたが、思いがけない形で転機を迫られる。当事者に自覚されなかった“愛の形”に気づいたとき、後悔の念が推進力として働くのだ。ヒロインのこの精神の躍動がまことに素晴らしく、思い出して、涙ぐんでおります。

田中千世子(映画評論家)
ダルデンヌ兄妹監督のなかでも特に傑作だと思う。愛と倫理が、けざやかなのだ。こういう映画の母胎となれるのだからキリスト教は大したものだと思う。
http://www.dare-mamo.jp/  2009/1/24公開

内海陽子(映画評論家)
身内から殺人者を出そうものなら、マスコミが押し掛け、家族に対してやくざまがいの脅し文句を吐くという。そう教えてくれた知人はスポーツ紙の記者だったが、そのマスコミの中で最も悪辣に家族を責めるのは大新聞の記者だそうだ。真偽のほどは不明だが、君塚良一監督が本作で暴くマスコミの体質は知人から聞いた話と寸分違わない。この映画は、さらに恐ろしい事態がインターネットという無法地帯で起きているということを執拗に追及する。凶悪犯罪者になった兄を胸の奥に抱きとめ、困難な状況を生きざるを得ない少女と、彼女に自分の娘を重ねて人間的に生きる刑事の姿は、多少の誇張はあるにせよ、現代社会のみごとな縮図だろう。脚本は未読だが、責任を持って仕事をするとはこういうことだと君塚良一に教えられる。
http://www.sonypictures.jp/movies/quantumofsolace/ 2009/1/24公開

黒田邦雄(映画評論家)
暗い、暗い、暗すぎる!もう少しイキなところがなけりゃ。敵役のマチュー・アマルリックに芝居をさせないのも不満で、この程度の役ならもっとハデな俳優でいいでしょ。ボンドガールの貧弱さは目を覆うばかりだし…。と文句タラタラながら最優秀にセレクトしたのは、言わずもがなダニエル・クレイグのカッコ良さのせい。トム・フォード(この人もダニエルに負けずカッコいい)がデザインしたスーツの、何というセクシーさ!この細みのスーツを着こなせる男優は、アメリカにはまずいないでしょう。ちなみに、BDで傑作「ロシアより愛をこめて」が出ましたが、このショーン・コネリーは完璧。しかし、ダニエルのボンドでは、こんな夢物語は似合わない。

みのわあつお(ポップ・カルチャー評論家)
完全にこれまでのボンド像から脱却し、なおかつイアン・フレミングのボンド像とも異なる独自のボンド像を確立した。

永野寿彦(シネマ・イラストライター) 
前作『007/カジノ・ロワイヤル』でこれまでなかった猪突猛進型生傷ガシガシのタフなボンド像を見せつけてくれたダニエル・クレイグ主演の新シリーズ。その続きとなる本作は前作ラストから直結するという、これまた今までにない仕掛け。ということで、まずは前作の復習をしておくことが必須。ボンドが抱えている愛する人を失った傷とそこから生まれる復讐心がドラマの要にもなっているので、そういう意味でも見直した方がおもしろさは倍増すること請け合い。しかも興味深いのはまるで前作と合わせての2作で完結している映画のように見えること。『007/カジノ・ロワイヤル』のオープニングでギラギラしまくっていたボンドが、今回のエンディングでどのように変化してどういう選択をするのか。そのシチュエーション的、そして映像的繋がりがボンドという男のドラマをヒシヒシと感じさせるのだ。これが偶然なのか確信犯なのかはわからないが、息切れするくらいに連打連発される凄まじいアクション(見せ方もスゲエ!)で綴られるボンドならではの魅力をぜひぜひ満喫してほしい。
http://kansen-rettou.jp/ 2009/1/17公開

増當竜也(映画文筆)
試写の反応は賛否あるようですが、私はかなりはまって観てしまいました。ハリウッド型のこの手のものとは違い、なかなか状況が進展していかないあたりがもどかしくもリアルで、瀬々敬久監督らしい甘美な悪夢のグルーヴ感の虜となります。しかも、その果てに待ち受けているものが奇跡でも何でもない哀しみのメロドラマであるあたりも、日本映画独自のテイストとして否定するのも簡単でしょうが、私には好ましく思えました。細菌パニックものにつきもののアラなどを、鬼の首でも取ったかのように突くのも野暮というもの。ここは一つ素直に、渦を巻くような日本崩壊の悲劇に身を任せましょう。
ちょっとオネエ風で飄々とした藤竜也扮する博士の姿勢にも、どこか不思議なシンパシーを感じました。特別班への配属を真っ先に希望する看護師役で小松彩夏ちゃんも出演。コマッちゃんはいつもエラくて可愛いんです(もうちょっとアップが多いと、もっと良かったのに・・・)。
http://www.alcine-terran.com/wagaai/ 2009/1/17公開
 
稲垣都々世(映画評論家)
あんな古典的な愛の物語を、臆面もなく美しい映画にして、愉快でエロチック。ドキドキさせてくれる。

山田宏一(映画評論家)
「巨匠エリック・ロメールが贈る、5世紀フランスの究極の愛と官能」という惹句からも、『我が至上の愛 アストレとセラドン』という題名からも、たぶん、これがどんな映画なのか、想像することもできないでしょう。じつに、じつに、奇妙な魅力の映画で、私はパンフレットにこの作品についての小文を書かせてもらったものの、「エコか、エロか──アストレとセラドンの恋のゆくえは?」と果てしなく問いつづけるのみです。
これが90歳に近い監督の作品かと思うと、さらにおどろくばかり。そのフレッシュなみずみずしさは、最も若々しい青春の息吹としか思えない気恥ずかしさです。本当にこれがエリック・ロメール監督の最後の作品になるのだろうか?(監督自身は引退宣言をしているとか……)。
かつてルイス・ブニュエル監督がメキシコで『忘れられた人々』(1950)を撮ったのが50歳のときだったことを知ったおどろき以来のエモーショナルな衝撃です。
http://wonder-lust.jp/ 2009/1/17公開 

安藤智恵子(ライター)
ガイ・リッチーから子ダネと映画撮影術をいただいてアッサリ離婚だもんなー、さすがマドンナ! エロと笑いを程よく交えてドキュメンタリー・タッチで描く青春映画、娯楽と芸術のバランス感覚が抜群で、元ダンナより才能あったりして?! アメリカ的なポジティブ志向とヨーロッパ的な退廃に、マドンナがアメリカ生まれのイタリアンだってことを改めて思い出した。楽曲の使用料を節約するため知り合いに頼んで安くあげたという現実感覚もまた良し。
http://themoon.asmik-ace.co.jp/ 2009/1/16公開
 
田中千世子(映画評論家)
NASA所蔵の豊富な映像もさることながらドキュメンタリーの姿をした<物語>に感動した。アポロ号月面着陸の計画から実施までをいくつものアポロ号の乗組員のインタヴューを重ねながら、物語としてつむいでいく手腕が見事である。
プロフィール

れがあるF

Author:れがあるF
 新作映画の公開に先立ち、映画会社は宣伝のため、「試写室」と呼ばれる映写施設で上映会を行なう。
 これは「試写室」に出入りすることを許された、映画を見るプロたちが推薦する最新作をランキング形式で発表する企画。 すなわち、真の必見作がここにある!

★参加メンバー:プロフィール

★管理人:れがある

★更新情報:
cafe シネマグランプリ
(旧)シネマグランプリ雑記帖

★ランキング表一覧:
シネマグランプリ INDEX


★コンタクト:下記メールフォームをご利用ください

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新トラックバック

Page Top
CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。